巣のリフォームに忙しく飛び回る妻(?)
くつろいでる夫(?)
小言を言う妻、
ちょっとムッとした夫、
勝手に想像してしまう、面白い図です

竹と雀は人気の文様、江戸を通じよく描かれています。竹とツバメ、かなり少ないです。
渡り鳥は季節を限定するから?
鳥文様のアレコレ、調べてみると面白いかも、です

見込に竹燕.絶妙な余白.薄濃濃淡で丁寧に
縁圏線に渦文風、捻紅縁仕上げ、
可愛い草花の裏文様、高台二重圏線
古九谷様式から柿右衛門様式への過渡期の作品です

品 名

藍柿右衛門竹燕捻紅縁七寸皿

品 番 AK-04
時 代 寛文〜延宝期
サイズ

口径 20.6cm(20.5)
全高 2.6cm(2.8)
底径 cm

状 態 ニュー・紅アタリ・ジカン有
価 格 ¥75,000−

詳 細

 

ご紹介商品はSOLD 残4枚

詳細はお問い合わせ下さい

紅縁に極薄いニュー3箇所、画像参照
(15?,10?,8?, 表のみ微かに爪にかかる程度)
(側面は短め、釉下に収まりダメージは少なめ)
紅縁に1?弱の紅アタリ
紅縁側面角に巾3?釉切凹、ムシクイの凹という印象
(後世の削げではなく製作時のムシクイ凹)

縁ジカン多数、1-5?程、極薄く釉下に収まりダメージ無
(窯中、口縁にできる釉下ジカン、画像参照)
(数カ所は表裏に通る薄いニューの可能性も有)
(釉切部周囲にジカン多め、極薄く拡大鏡で確認必須)
(状態からジカンと判断、許容範囲内と判断しました)                       

傷ではありませんがご確認戴きたい詳細:

紅縁側面角に釉切部の黄染多少、画像参照
(表からは見えず、極細い釉切、目立たず)
微妙に真円ではなく、6-4時方向が微かに低め
(側面成形の不具合、目立たず許容範囲内)

紅縁に紅斑漏・ムシクイ・凹凸多少
極小灰振・釉切・シワ・濃淡斑・凹凸多少

藍柿右衛門、藍九谷、どちらの分類でも正解です。
寛文〜延宝期、いろんな様式が混ざり合う、
面白い時代です。

他に4枚有、完品は無、もう少し状態の良い物1枚有
詳細は御問い合わせ下さい。

:::::伊万里について:::::

古九谷の時代、日本初の磁器、伊万里の器は高級品でした。殆どの日本人が磁器の存在さえ知らなかった時代です(当時庶民の器は木製漆器、陶器が主流)

伊万里は、国内の一握りの富裕層、諸藩の藩主や豪商達に好まれました(大量需要により、驚異的な進歩を遂げたと考えられる)(多種多様な器が大量に生産され需要に応えた)(当時20客単位で出荷)

当時の古九谷は最上手からちょっと粗めの物迄、驚く程多く現代に受け継がれています。

江戸初期に日本初の磁器が生産され伊万里と呼ばれました。(1610年代)

江戸時代の伊万里全てを古伊万里と呼ぶことが多いです。(現在の佐賀県有田周辺で作られ伊万里港から出荷)

古九谷は初期伊万里のすぐ後、寛文期前後に作られた色絵磁器です驚異的な技術進歩により、日本初の色絵磁器が誕生しました(1640年代)

色絵は古九谷、染付は藍九谷、錆釉は吸坂と呼びます。また青磁釉・瑠璃釉・白磁は、古九谷の名称を上下いれかに足し呼びます。

様々な技術や様式が生まれ淘汰された興味深い時代です(1640年〜1670年代前後)後の柿右衛門様式は、古九谷のすぐ後、延宝期に確立されたと言われています。柿右衛門様式の登場で、古九谷は役目を終え終了します

なぜこの時代の伊万里が古九谷と呼ばれているのでしょうか?

半世紀程前迄古九谷は、石川県の焼き物、江戸時代の九谷焼と言われていました。昭和20年代、古九谷と呼ばれる焼き物が、実は佐賀県有田で作られたものではないかという説が登場し、九谷説と有田説の論争が始まりました。「九谷論争」です。

有田説は、江戸時代、海外へ輸出された伊万里の古九谷との共通性にありました。有田説を支持する説が諸外国でも登場します。その後、考古学的に生産地遺跡の発掘調査が双方で行われました。素地の化学分析が行われた結果、有田説で終結しました。

終結後も古九谷の名称は残りました。ただ、その後も調査は続いています。疑問点がまだあり、今後の研究により更に詳細が解明されればと思います。