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寛文期の金銀彩古九谷七寸皿です。金銀彩は屏風絵の様に余白を生かし上品に仕上げた物が多いです。海浜の景色を飛び立つ鳥と共に描いています。多少の色スレは有りますが、金銀彩が綺麗に残っています。上品です。土も釉もとても綺麗です。特別な日に古九谷を器として使って下さい。お料理を上品に盛り付けて下さい。

品 名 金銀彩古九谷鳥海浜図七寸皿
品 番 SL−08
時 代 江戸前期
サイズ

口径 21.1p
全高 3.3p(2.9)
底径 13.1p

状 態

ほゞ完品

価 格 ¥75,000−

詳 細

 

高台厚から内に1〜3oの極薄い削げ有       見込が少し上がり気味で微かな凹凸有         (目立たず座りに影響無)

傷ではありませんが御確認戴きたい詳細

金縁は3割程残りほゞ薄くなっている
(下方に残る、違和感なく自然許容範囲)

金銀彩が少し薄くなっている部分多少有       
(特に丘、鳥の一部)

極小ムシクイ・釉切・凹凸多少

極小灰振・釉切・クッツキ・凹凸・シワ多少

詳細はお問い合わせ下さい

創世記伊万里を初期伊万里と呼びます。
(1610年代)

初期伊万里のすぐ後、驚異的な技術進歩により日本初の色絵磁器、
古九谷が登場しました
(1640年代)
色絵は古九谷、染付古九谷を藍九谷、錆釉を吸坂と呼びます。
他に白磁・青磁・瑠璃は、古九谷の名称を上下いづれかに足し呼ぶ事も有ります。
古九谷の時代は、様々な技術や様式が生まれ、淘汰された興味深い時代です。
(1640年〜1670年前後)

なぜこの時代の伊万里が古九谷と呼ばれているのでしょうか?

半世紀程前迄古九谷は、石川県の焼き物、江戸時代の九谷焼と言われていました。
昭和20年代、古九谷と呼ばれる焼き物が、実は佐賀県有田で作られたものではないかという説が登場し、九谷説と有田説の論争が始まりました。「九谷論争」です。

有田説は、江戸時代、海外へ輸出された伊万里の古九谷との共通性にありました。有田説を支持する説が諸外国でも登場します。
その後、考古学的に生産地遺跡の発掘調査が双方で行われました。
素地の化学分析が行われた結果、有田説で終結しました。終結後も古九谷の名称は残りました。

ただ、その後も調査は続いています。
疑問点がまだあり、今後の研究により更に詳細が解明されればと思
います。世界に類のない古九谷独特な色彩、本当に興味深いです。