金継があっても欲しい物、意外と少ないです
古鍋島の様な、古九谷の様な珍しい手
お勧めです

色々な様式がが混ざり合う時代、古九谷の時代、
1650〜1670年代前後、青磁染付茄子形皿、
古九谷の典型的な深い青磁ではなく、淡い柿右衛門青磁や鍋島青磁に近いです。
(同形・サイズで染付鉄釉有、HP古九谷NO1)
(鉄釉は鳥が飛ぶ、高台が少し高め、目跡無は同)
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器形は茄子、陽刻茄子ガク部を染付、紅縁、
裏文様は無、鍋島風透明感のある青磁釉が輝いています。
(表の青磁釉は透明感が少なく柿右衛門青磁風)

勢いのある呉須の筆捌き、魅力的です。
当時茶懐石の平向付、端皿として20客単位で出荷されました。
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盛期鍋島に受け継がれる技術が、この時代には完成していたことが解ります。この時代の驚異的な技術進歩、驚きます。
今後古鍋島の研究が進み分類変更の可能性はない?期待したいです。D14.5p(10.5) H2.9p

品 名 九谷青磁染付茄子形皿
品 番 SL−09
時 代 江戸前期
サイズ 口径 14.5p(10.1)
全高 2.9p
底径 10.0p(5.7)
状 態 金継
価 格 ¥100,000−

詳 細
                                

紅縁から内に巾13ox3o金継、裏は巾14ox7o
紅縁から内に巾10ox3o金継、裏は巾5ox1o
紅縁から内に巾6ox2o金継、裏は巾4ox1o
紅縁から内に巾4ox2o金継、裏は巾2oで微か
紅縁厚に巾3o金継(裏は巾2oで微か)、1o弱紅押
高台畳付内側に1o弱アタリ

キズではありませんがご確認戴きたい詳細:

紅縁にアタリ多少、製作時シワ・ムシクイ・凹凸多少

左右畳付がつく状態で中央に微かな隙有
(手前に強く押し微かな揺れ、画像参照)
(薄いランチョンマット使用で解消する程度)
極小灰振・釉切・凹凸・濃淡斑・釉スレ多少

詳細はお問い合わせ下さい。

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江戸初期に日本初の磁器が生産され伊万里と呼ばれました。(伊万里港から出荷)

最初の伊万里を初期伊万里と呼びます。
(1610年代)

古九谷は、初期伊万里のすぐ後、寛文期前後に作られた色絵磁器です。

驚異的な技術進歩により、日本初の色絵磁器が誕生しました。(1640年代)色絵は古九谷、染付古九谷は藍九谷、錆釉古九谷を吸坂と呼びます。
また青磁釉・瑠璃釉・白磁は、古九谷の名称を上下い
づれかに足し呼ばれる事もあります。

寛文期前後は、様々な技術や様式が生まれ、淘汰された興味深い時代です。
(1640年〜1670年代前後)

後の柿右衛門様式は古九谷のすぐ後、延宝期に確立されたと言われています。
柿右衛門様式の登場で古九谷は役目を終え終了します。

なぜこの時代の伊万里が古九谷と呼ばれているのでしょうか?

半世紀程前迄古九谷は、石川県の焼き物、江戸時代の九谷焼と言われていました。
昭和20年代、古九谷と呼ばれる焼き物が、実は佐賀県有田で作られたものではな
いかという説が登場し、九谷説と有田説の論争が始まりました。
「九谷論争」です。

有田説は、江戸時代、海外へ輸出された伊万里の古九谷との共通性にありました。
有田説を支持する説が諸外国でも登場します。
その後、考古学的に生産地遺跡の発掘調査が双方で行われました。
素地の化学分析が行われた結果、有田説で終結しました。
終結後も古九谷の名称は残りました。

ただ、その後も調査は続いています。

疑問点がまだあり、今後の研究により更に詳細が解明されればと思います。